瞑想と混沌の先に「John Coltrane - Meditations (1965)」 ― 2016/10/28 03:02
60年代後半、黒人公民権運動活動家・マルコムX (Malcolm X)暗殺を境に、 アフリカ系アメリカ人の暴発寸前の熱い思いと共鳴し、絶叫し続けたコルトレーン。
かつてのボス、マイルス・デイヴィスの言葉から端折って引用すると、
「特に若い知識層や革命論者の間では、トレーンが音楽で彼らの気持ちを代弁し、シンボル的存在だった」
そうです。
今回ご紹介する「瞑想(Meditations)」は、そんなコルトレーンが奏でる 混沌と瞑想の狭間にある、神秘的というか「静寂と安らぎ」入り混じる、摩訶不思議なセッション。
アフリカ回帰を前面に打ち出した「Kulu Se Mama」から約1ヶ月後の録音ですね。
黄金のカルテットに加え、テナーサックスのファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)、 ドラムのラシッド・アリ(Rashied Ali)を加えた編成で演奏されます。
さて。ずらっと並ぶ曲には、宗教色、精神性を前面に打ち出した題名が並んでおります。
1曲目は、「父なる神・御子キリスト・聖霊(The Father And The Son And The Holy Ghost)」 と題された曲。
「父」、「息子(イエス・キリスト)」、「聖霊(聖神)」は全て同じであり、 一つである、というキリスト教の基本となる教え、三位一体(至聖三者)の事らしいです。
題になぞられ、左右に分かれた2テナーが同時にソロを展開。
そこにリズム隊を加える事で、音楽による「三位一体」を表現したかったのか?
約13分に渡り、聖邪入り混じるかのような、混沌とした音の洪水が続きます。
「Om(阿吽)」を聴いたラヴィ・シャンカール(Ravi Shankar)に、 解釈の間違いをたしなめられたコルトレーンですが、 師の諭しを忘却したが如く、「Om(阿吽)」路線の過激な演奏を繰り広げます。
2曲目「慈悲(Compassion)」は、サイケデリックな瞑想といった雰囲気の曲。
定型ビートで時々、鈴のような音鳴り響く中、マッコイ~コルトレーンとソロが引き継がれます。
3曲目「愛(Love)」は、ベースソロから始まる、穏やかな雰囲気の曲。
4曲目「威厳(Consequences)」は、前曲の静寂をぶち壊すかのように、 左右に分かれた2テナーによる絶叫が続きます。
続くマッコイも、穏やかながらも、せわしないピアノソロを展開。
5曲目アルバム最後を飾る「静寂(Serenity)」は、前のピアノソロを引き継いで、 コルトレーンの瞑想的ソロが展開されます。
コルトレーンが考えてた「瞑想(Meditations)」とは、どのようなものだったのか。
多分、コルトレーンも他人に説明出来るほど、深く考えていなかったものと推測します(笑)。
とりあえず頭を空っぽにして、混沌と渦巻く音の洪水に、しばし浸かってみるのも一興かと。
John Coltrane - Meditations (1965)
impules! AS-9110
01. The Father And The Son And The Holy Ghost (John Coltrane) 12:49 02. Compassion (John Coltrane) 6:49
03. Love (John Coltrane) 8:08
04. Consequences (John Coltrane) 9:11
05. Serenity (John Coltrane) 3:30
John Coltrane (ts, per) Pharoah Sanders (ts, tambourine, bells) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds) Elvin Jones (ds) November 23, 1965 at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ.
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